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タイタン流マネジメント論
 ~爆笑問題・長井秀和・山中秀樹・橋本弁護士・5番6番・ガラクタコージョーなど~

公演者:太田光代さん 株式会社タイタン 代表取締役
対談者:八塩圭子さん フリーアナウンサー、関西学院大学准教授

(以下Qは八塩さん、Aは太田さんの言葉として読んで下さい)

Q.どんな子供でしたか?喜怒哀楽あって、激しい子供だったのではないですか?
A.早いうちから子供の記憶があります。
 先天性股関節脱臼だったので気づいた時には(意識があった時には)病院の中でした。
 親を見る前に医師や看護師を見て、入院患者(小児患者)の印象の方が強かったです。
 しかし、先天性股関節脱臼だったため3年間両足のギプスをしていて、歩けなかったため、
 「自分だけがおかしい」と思い、人との協調が取れない子供でした。

 その後病気は克服して、足の問題も今現在もなく、過ごしています。
 退院した時には社会が明るくなったような気分でした。退院してから性格が変わったと思います。
 4歳の時点で「自分はどうなっていくんだろう…」と希望に満ちた子供でもありました。

Q.将来像は何を描いていましたか?
A.医師でした。医師を目指していた当時は一生懸命勉強をしました。
  でも数年くらいして医師になるには様々な条件が必要で、自分には条件が揃わないと思い、
  医師になる意欲が消失しました。医師になれないなら勉強しても意味がない。
  そう思うようになってからは、授業中気絶していました。そして休み時間に起きる児童でした。
  小学5~6年で医師への夢を絶った事になります。

(八塩さん)
 私も病院に入院して、医師や看護師に感謝して、医師を目指した経験がありますが、
 1年で挫折しました。医師って感謝しやすい対象ですよね?

Q.モデルや芸能人になるまでの経緯は?
A.家族が母しかいなかった。なので父を知らないんです。
  他の家には両親が揃ってて、自分の家の環境を理解するのには容易ではありませんでした。
  そして母が結婚します。でも父になる人は全くの他人。
  他人を親にするに当たって、他人に愛情を注ぐ努力をしました。例えば、趣味は何か?とか。
  彼の趣味は映画鑑賞でよく「黒澤映画」を見に連れてってもらいました。
  その時に見た「黒澤映画」にカルチャーショックを受けました。
  ストーリーの展開。出演者。あの時間内でこなせる事に感動をして、芸能人に憧れを抱きます。
  でも中1くらいには専業主婦に憧れを抱いていました。キラキラ輝いていたからです。
(八塩さん:今はそのような主婦が少ないですよね。)

 しかしタレント活動と専業主婦は全くの別物である。自分は興味がある事に進む事にしました。
 高校生の時から一人暮らしをします。その分働く事の大変さ、お金の重要性に気づきました。
 その頃水着の仕事を敢えてしました。足にはope痕があります。でもそれは刀傷みたくなってた。
 自分自身の象徴をさらけ出す事は良い事。マイナスは最大のプラス。
だから最大限にアピールしようと思った。そして認めてもらいたかった。

(八塩さん)
 それは勇気のあることだと言うと陳腐かもしれませんが、
 タレントってどこまでさらけ出せるかが勝負ですよね。先手を打ったのが、ずるいし、凄い事。

Q.所属タレントさんって太田さんの言う事聞くでしょうね?
A.よく聞いてくれます。
Q.↑の後にコメディータッチの舞台に出られてますよね?
A.表現する事への意識を向けていった時に「笑い」が入っているものだと思った。
 でも女性が「お笑い」をするのは大変難しい。(ある程度捨てなきゃいけないものがあるから)
 見ていて「楽しい」と思わせたかった。「悲しい顔」をしていても楽しくないから。
 「お笑い」の道へ行くと、「モノマネ」が出来たために「お笑い」へ入れた。
 「モノマネ」は一つの特技であり、自分の強みでもあったからです。
 自分自身なんでも3年頑張ろうと思ってます。でも最終的には「モノマネ」も「楠田枝里子さん」
 だけになって、彼女の事ばかり考えるようになて、自分を見失っていました。
  そして3年で「モノマネ」に区切りをつけて、太田光と結婚しました。
 太田とは出会った当日に、事務所が同じだったけど、打ち合わせ場所がなく、
 私の家で打ち合わせをして、その日から家にいついた。今でも帰らない(笑)

Q.陳腐な言い方に聞こえるかもしれませんが、「運命」だったんですよね?
A.いえ、「戦いのはじまり」だと思います。
  会社を経営する事は「戦ってるもの(平和ではないもの)」であり、「お笑い」も戦場だから。
  さんまさん曰く「お笑い」が戦場なのは、常に次何を言うか考えていなければならない。
 
  これを作りだしたのが「運命」かと思います。この「運命」がなければもっと穏やかな性格でした。

Q.爆笑問題の「お笑い」は「お笑い」を逸脱しているようにも伺えますが?
A.位置づけは「お笑い」でいてくれ!と言っています。
  政治=時事ネタであって、それを説明しているがゆえに、キチンとしているように見える。
 「太田総理」なんて昔じゃ考えられないが、あれは間違いなく「お笑い」である。
  そして、政治家なんてなって欲しくないです。もしなろうとしたら止めます。
 「お笑い」の良い所は、「ズレ」てても良い事。昨日と今日言ってる事が違っても面白ければいい。
 もし「報道番組」からオファーが来ても断る。「報道バラエティー」なら受けるつもりでいる。

Q.爆笑問題ってピンであまり活動されないのは何故ですか?
A.あの2人は2人でバランスが取れてるから。
  太田のようないつまでも悩める青年を田中の能天気さで救ってくれてる。(突っ込んでる)
  時に自分がボケている。(しかしそれは天然)
 
  田中の場合、突っ込みは太田の教えの通りで「突っ込みマシーン」として動いている。
  反射神経で行っていると言っても過言ではない。
  更に太田がボケ切れてないのを田中がボケ切る。

  夫婦である私は妻の役割が出来ていない。田中太田にとって大切な存在である。
  だからこそ離すのは良くないと思っている。でも田中一人で出てる時もあるんですよ。
  そうするとヤツは視聴率を取って来るんですよ(笑)
  多分自由になる分、TV的には見やすい感じに写るのではないでしょうか?
 
(八塩さん)
 以前、テレビ東京時代、私自身も代理で出た番組で、田中さんは病気で休んでみえて、
 太田さん1人で出なければいけない時がありました。もの凄く必死でやっていましたよ。

(光代さん)
 太田1人だとカラ回りする。慣れればよいかもしれないが、私は2人で「爆笑問題」だと思ってる。

Q.タイタン所属のタレントへのマネジメントはどのように考えてるのか?
A.設立当初は「爆笑問題」のための会社を考えていた。でもやっていくにつれ、様々な縁がある。
  そして「会社社長を演じてる自分」から、それが本当の性格に移行して行った。
 そうすると、興味を沸く日地が出てくる訳です。
 
①橋本弁護士
 彼は見たときから「弁護士だけにしておくのは勿体ない」と思ってました。
 彼は基本的に弁護士に見えない。役者っぽくて、更に華がある。
 彼は、高校時代ラグビー部で活躍して、早稲田大学に入りました。
 そして個人でビジネスをするも、失敗。その経験を活かし、独学で勉強して2回目で司法試験
 に受かる訳です。ありえませんよね?

 橋本弁護士と言う人は、元々弁護士になろうとしてない点が私自身と似ていると思った。
 更に本人から「是非タイタンで」と言われて、「タレント弁護士」と言う位置を築いた。
 ちなみに余談だが、ギャラは結構いいものを貰ってきますよ。

②長井秀和
 彼は元々気になっていた人間だった。その当時パントマイムをやっていた。表現力を持っていた。
 私自身、本人の良い所を探した。「絶対に大丈夫だ!」と言っていたし、思っていた。
 そしてひたすら褒めちぎった。褒められなれてない本人。そして「事務所を辞めてきました」と彼。
 しかも「ここを辞めて、タイタンに行きます」と言って辞めて来たと言う。
 元事務所へ挨拶へ行ってきた。その事務所はコント赤信号のリーダーが社長の事務所だった。
 渡辺さんが「自分と(長井が)関わっても、彼の良さを出せない。
                                 爆笑問題の所の方がいいだろう」
 と言ってもらえた。そして長井を「マニアックではダメだ」と言い、売れるようにした。

Q.売れるネタを実際教えるのですか?
A.ネタを見て、誰に対して、どれくらいの反応があるか?を問う。
  そうするとみんな真面目に考えてくる。みんな良い子達ばかり。
  考えるように持って行けば、良いかと思います。

Q.太田さんは、自分より妻の方が「お笑い」のセンスがあるっておっしゃってましたが?
A.私を上手く使って言っているだけです。大きくして言ってみたり、そのままを言ったり。
  それは良い事だと思うし、相当だと思ってる。

Q.芸能人って本当、芸も能力もある人たちですよね?
A.止まっていると、すぐに忘れ去られてしまう。だから平和ではなく、常に戦ってるんです。

Q.山中アナは?
A.
③山中秀樹
 彼はスジテレビのアナウンス室の部長を辞めて、自分を捨てて来た。
 山中アナの世代は出世してる「ゴールデン世代」。
 更に同期の人たちが良かれと思って、彼を出世させようとした。しかし彼はフジテレビが大好きで、
 ずっとアナウンサーとしてやっていこうと思っていた。喋り手でいたいと思っていた。
  
 フジテレビってしょうがい賃金が高いんですね。山中さんは10数年に相当な賃金を捨てて、
 志願してきました。その時に彼が読んでた本が「依願退職」と言う本。
 更に少しの間で痩せてて、悩んでいた。受けなければいけないと任命だと思った。

 アナウンサーを会社に受け入れるに当たって、アナウンサーの勉強をしなければならない。
 48歳で「一からやります」と本人。その中「サンデージャポン」は賭けだった。
 ジェネラリストである彼のあの勇気は凄かった。目ヂカラが強く、決死の覚悟が伺えた。
 それを彼は自分で持っている品と個性で良い方向へと導いた。

 「サンデージャポン」は業界視聴率が良い番組。
 情報と報道とパロディを合わせた番組は日本で性向するのは難しかった。
 山中アナを中心になってほしい。彼はなんでもやれる「お笑い」のセンスを持っている。
 だから、彼があのポジションで出来たのだと思う。茶化せて一つのキャラになった。

Q.タイタンが今後お世話する人を増やしていくおつもりですか?
A.私自身が興味がないと、受け入れられない。人の人生を預かるわけですからね。
  大きくしたくないと言ったら嘘になりますが、意欲的に大きくしたいとは思わない。
 (若い社員を育てるに当たり、必要ではありますがね。)

Q.他のお仕事もなさっていますが?
A.男性的に仕事ををしても男性にはなれない。そして支障をきたす。病院へ行くのも1つの手。
  バランスを保って行く為には何が必要か?そこでハーブに目をつけた。
  ハーブはヨーロッパやアメリカではメディカルなもの。
  西洋医学を使って自分でバランスを取りたいと思った。

  精神的に抱えているもの→精神的に弱くなっている人が増えた。
  
  日本は先進国で来たために↑のような人を増やす結果を招いた。
  精神的にケアをする場所があまりにも少ないからだ。アメリカは飛び込める程心療内科がある。
  日本では、心療内科や精神科へ行くまでに悩んだりして時間がかかってしまう。
  しかし受診まで時間をかければかける程症状は進行して、治りにくくなる。
  つまり早ければ早い程、治りが早い。だからこそ「心療内科を経営」しようと思った。
  今、精神科医は半分以上ボランティアになりがちなので、それも解消できるような所を作る。

  5年前にハーブの専門店を開いた。
  この分野は医師でも難しい分野であったが、実践してみて、良いものを作っていくことにした。
 つまり研究所的な場所を作った。香りはダイレクトに脳にいくので、気分転換になる。
 最近はリンパマッサージのお店も開いた。ハーブ同様リンパマッサージも需要が多かった。
  
 リンパマッサージを中心にアロマで対応していければいいなぁと思っていた。
 2011年1月に病院のプラザーとして新百合ヶ丘で開店する予定です。

Q.医師の夢の隣に今いらっしゃるのではないですか?
A.みんなが元気になってくれればいい。そのために自分が元気にならなければいけない。

Q.仕事の分担は?(1日どんな割合で生活なさってるか?)
A.仕事が出来る時はやっている感じ。基本的に自分の事は二の次ですから。
  なのでプロダクション業務もハーブ業務も出来る時に会社や家でやっている。
  でも、ず~っとやっていて区切りがないですね。
  
  飲む時は飲みますよ!(でも気をつけなければいけないとは思っています)
  今朝も8時まで飲んでいました。そして鉄棒に登ってました。
  何でも登るのが好きなんです。だから記憶があるうちに木など確認しておくんです。
  そして酔っ払った時に事故を防いでいる訳です。
  この間も背中が真っ黒になってる事があって、太田に言われて初めて気づいたんです。
  全く痛くもないし、記憶もないんです。

Q.これからの目標は?
A.お酒は量ではない。意識をなくす時は忘れたい事が沢山ある時だと思う。
  そんな時に自らスイッチをオフにするんですね。
  ハーブで癒していますが、間に合わないんですね(笑)だからお酒やタバコに行くんですね。
  だからハーブや医学でお酒やタバコの分±0にしてるんだと思います。
  ちなみに睡眠時間は3~4時間ですが、定期健診どこも悪くないんです。

Q.どんな夫婦でいたいか?経営者として発展していきたいか?
A.ハーブを取り入れて貰ったので、心療内科をやりたい。
  マネジメントを教わってなかった分良かったと思う。そして今までのようにやりたいよ思う。

 これからのエンタテイメント界は多岐に渡ると思う。映画やネット、携帯などの通信。
 バーチャル的になってくるように思う。その為にも今後のために何をしておくか考えている。

Q.どんな夫婦になりたいですか?
A.戦友であって夫婦ではない。戦友に対する愛情はある。
  夫婦の時間を作っていこうと心掛けたい。でも彼は彼の時間が必要なので難しい問題かも?
 ある程度距離を保ちながら、深い愛情を注いでいたい。
 「空気のような存在」だけは絶対に嫌だ!存在感をあり続け、ネタになっていたい。 以上。

感想です。
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by jyubon | 2007-05-11 19:45 | レポート

おばんです。今日行ってきた勉強会の内容を報告します。
現代病と言われてる「うつ病」をはじめ、ストレスが引き起こす病気についてです。
皆さんに参考になれば幸いです。では早速資料・講義内容を元に報告します。

H18年度精神保健福祉特別講演会
『メンタルヘルス-ストレスへの対処法』
平成18年7月6日(木)14:30~15:40 
独立行政法人労働者健康福祉機構 福島労災病院心療内科 桃生(ものう)寛和先生

●メンタルヘルスとは?
・「心の健康」または「精神の健康」のこと。
・ストレスによって引き起こされる心身の不調を「メンタルヘルス不全」という。
・もちろん「身体の健康」も重要。

●主なメンタルヘルス不全
①うつ病
ストレスや過労によるうつ病が注目されている。自殺に至る事もある(例:過労自殺)。
自殺の背景に「うつ病」あり。(全てではないが…)
②心身症(心療内科の専門分野)
ストレスで引き起こされる身体の病気。
脳や心臓の病気の場合は死に至る事もある。(=過労死等ストレスで死ぬ事がある)
精神病≠心身症(=ストレスによって引き起こされたのが「心身症」)
③神経症
④行動の偏り
事故多発、無断欠勤、問題飲酒、薬物乱用、触法行為
      ↓
 職場で起こりうる問題

●メンタルヘルス不全が注目される理由-ストレス・自殺・労災に関するデータ-
■ストレスを自覚する勤労者の増加
 平成9年 63%→平成14年 61.5% (5年後とのデータ)
*ストレスはあって当たり前!
人間関係(永遠の課題)、②仕事の質、③仕事の量
    ↓
自分が可愛い、我のぶつかり合い等…
■自殺者の急増
 平成9年 2.4万人→平成10年 3.3万人→平成16年 3.2万人
毎年3万人を越す自殺者。交通事故死者の3倍。
*40~60代の男性に多い(女性の3倍に相当)、
 しかし心療内科の受診者や電話相談のクライアントは圧倒的に70%と女性が多い。
 これは、世界的傾向である。
■労災保険における過労による脳血管障害、精神障害に申請・認定の増加
 平成16年度:精神障害 130/524件、このうち自殺45/121件

●ストレスをどうとらえ、どう対処しいたらよいか
<疑問>ストレスを完全に避けることができるか?
  <答え>ほとんど無理!

 「無人島に行けばよい?」という意見に対しては、孤独がストレスになるし(ハリネズミコンプレックス)、自然の厳しい環境の中で生きるストレスがある。
■ストレス対処法は「現代人の必修科目」
■ストレスじゃ完全に克服するよりも、「しのぐ」?
■そのためには基礎知識やコツが必要。特別なことは少なく、案が気当たり前で常識的なことが大事。
 (心だけでなく体にも良いことである)

ストレスについての基礎知識
その①ストレスの種類

■ストレスの種類
心理社会的ストレスのみが注目されるが、物理的・化学的・生物的ストレスも重要。
ストレスが重なれば、リスクも高くなる。
気候的ストレス(例:梅雨から残暑までの厳しさ)
木の芽時=気候的ストレス+心理社会的ストレス(人の動き)…ストレスが重なる時がある。
■ストレスのランク表からわかること
1位は配偶者の死。
また、結婚、子供の誕生、昇進、退職など好ましい出来事もストレスになり得ることに注意。
(例:昇進うつ病、荷おろしうつ病、引越しうつ病)

その②仕事に関するストレス
■長時間労働(通勤時間も考慮)
■仕事の能力と要求されるもののミスマッチ
■拡張カラセクモデル
 仕事のストレスは、「要求度」、「自由裁量度」、「周囲のサポート」によって決まる。
 「要求度が高く、サポートが乏しい」時、リスクは高くなる。
 (例:医師は要求度が高く、自由裁量度は減る一方)
■努力の報酬のアンバランス

その③ストレス病の発症のメカニズム
(資料では表でした。上手く表に出来てませんがご了承下さい。)

              個人的要因 ストレス耐性(年齢・体力・性質・性格、更に気づきは重要)
                 ↓    ライフスタイル   
仕事のストレス要因→→→→→→→→→→→→→→→→→→→ストレス反応疾病              
               ↑             ↑
            仕事外の要因       緩衝要因(周囲からのサポート・職場の快適度)
         (プライベートな問題等)

その④ストレス耐性について
■「ストレスに弱い人」と「ストレスに強い人」があいるのは事実
■しかしながら、ストレス病にかかった時、それを認めようとしないで、言い訳をする人が多い(プライドから)
■「気づき」、現実を受け入れることが大事。弱いことを誰も責めはしない
自己の弱さを含めたマイナス面を自覚できることが本当の強さにように思われる

ストレス対策十カ条-セルフケアのために-(各項目をクリックしてください。詳しい内容が出てきます。)
年齢や体力に見合ったライフスタイル
充実と生きがい
適度な休息・休養
運動で気晴らしと体力の維持
緊張に気づき早めにリラックス
趣味で気晴らしと仲間作り
人との交流を上手に
自分への気づき
環境調節(時に緊急避難も必要)
生き方点検・人生観の再点検


こんな感じでした。私自身は父親がうつ病、母親もうつっぽいので大変参考になりつつも、
もう少し突っ込んだ話もして欲しかったです。感想お待ちしてます。堅い内容ですみませんでした。
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by jyubon | 2006-07-06 20:09 | レポート

2005年度後期 時代の’潮流と深層’を読み解く 
夕学(せきがく)五十講    2005.10.19(水)

【秋元流プロデュース~答えは自分の中にある~】

講師:秋元康 作詞家

講師略歴>
1956年生まれ
高校時代から放送作家として頭角を現し、『ザ・ベストテン』等の数々の番組構成を手がける
1983年以降、作詞家として、美空ひばり『川の流れのように』をはじめ、
数多くのヒット曲を生み出す。
1991年には松坂慶子・緒方拳主演『グッバイ・ママ』で映画デビュー

TV番組『おしゃれイズム』 『うたばん』 『とんねるずのみなさんのおかげでした』などの企画構成、ラジオのパーソナリティー、『週刊ポスト』・『SAY』・『WiLL』の連載のほか、05年上半期には新聞小説『象の背中』の執筆、NHK連続ドラマ『笑う三姉妹』の脚本を手がける等、
多岐に渡り活躍中。  

2005年4月、京都造形芸術大学教授就任


主要著者>
『コロンブスの卵の見つけ方』PHP研究所、2000年
『人生は好きなことしかやる時間がない』青春出版社、2000年
『一生を託せる「価値のある男」の見極め方』講談社、2001年
『おじさんの気持ち』角川書店、2001年
『「わがままな女」になろう』大和書房、2002年
『世の中にこんな旨いものがあったのか?』扶桑社、2002年
『趣味力』NHK出版(生活人新書)、2003年
『なるほどね、そーゆーことか』青春出版社、2003年
『着信アリ』角川書店(角川ホラー文庫)、2003年
『贅沢な遺言』主婦と生活社、2004年
『着信アリ2』角川書店(角川ホラー文庫)、2004年
『失恋ありがみ』講談社、2005年
『子分肌』ゴマブックス、2005年11月発刊予定


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~


【秋元流プロデュース~答えは自分の中にある~レポート】

Q.プロデュースとは何か?
Ans:全体像を総括する事。客観的・客観性を持つ事。


(例)レストラン
・料理人が作りたいものを作る=アーティスト・芸術家
        +
・プロデューサーが「どうしたら喜んでもらえるか・楽しんでもらえるか」と客観的マーケティングを入れる事が「プロデュース」

(結論)何を作るか、どういう事が大衆に受けるか=プロデュース論

Q.セルフプロデュースとは?
Ans:非常に難しい。
→自分をどう客観的に見るか?(=自分の背中を見る事が出来ない)
                     ↓
    難しい理由=自分自身は自分の中の勝算の中で成立してしまってるため。
              (自分で考えるのは自分の想像の範ちゅう)

  プロデュースしてもらうと…
   「自分では想像出来ない事を引き出せる。つまり潜在能力を引き出してくれる」


(例)沢田研二の「TOKIO」→糸井重里作詞。当時『ザ・ベストテン』の構成担当:秋元氏。
                 今では有名な「パラシュート」も本人は嫌がっていた。
                      ↓
             しかし、本人の気持ちとはうらはらに「大ヒット」
                      
(結論)心掛ける事とは…「騙された」(可能性広がる)と思ってやってみる事である。

(例)美空ひばりの「川の流れのように」
  これを作るにあたって「今までのFAN」も引き付け、更に今まで以上のFAN層を増やす事を目的に考えていた。新しいFANを引き付ける為に曲の感じを演歌のようで、POPSでもない。フォークっぽい「川の流れのように」を書いた。
 当時31歳の秋元氏は、作曲する人も同世代を選ぶために「30歳の作曲家」を集めた。そして各自が思う「美空ひばりさんへの提供曲」を作ってもらった。
 また、「My Way」のような「ひばりさん」が望む曲作りに励んだ。「不死鳥」と言われた彼女に対しての「応援歌」を作る気持ちでいたと言う。ひばりさんは「思い出の目次=流行歌」を沢山持っていらっしゃる方。そんな素晴らしい人ひばりさんという「聖火」を持って駅伝で言う「1区間」を走る気持ちで作った。それは、ひばりさん程の人にメッセージ性のある歌を歌ってもらって大衆に共感してもらうためでもあった。そんな時、美空ひばりさんがこう言ったそうです。

「秋元さん、とても素敵な詞を作ってくださいました。
         そして、どんなイイ川も同じ海に注いでいるのよね」 
 
と。 

彼女程の人が何故当時若手作詞家だった秋元氏に「騙された」と思って託したと言う事は、優れた潜在能力があったからである。彼女は何があっても揺るがない才能がある。そして彼女は常に「まな板の上の鯉」を貫いてきた。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

Q.自己プロデュースとは何か?
Ans:自分の長所と短所を知る事である。(その人の顔であり、存在理由でもある)
    そして自分の武器は何か?自分は何色か?を知る事である。
   ×:何にでも合わせられる=色がないとみなされる
   
 昔は会社でも理系なら理系ばかりを採用していたが、今の時代は多様化しているため様々なジャンルから採用しなければ対応が出来ない世の中になっている。
 
 秋元氏の武器は「最年少放送作家」だった。(17歳で放送作家になったから)
            ↓
 自分の武器は何でもいい。(自分をどれだけ知っているか?)
            ↓ 
 逆に「自分を解りすぎてもダメ」である。
(例)オーディションの常連で採用されない人は自分の武器を強調しすぎる、自分で磨いてしまうため審査員に「こんなものか」と思われてしまう。逆に何もしていない方が「原石みたいで可能性を秘めている」という事である。

武器は持たなければいけない。でも強調してはいけない。だから「ミステリアスな女性」が魅力的なのである。つまり、あくまでも自分の武器は「予告編」であり「もっと知りたい」と思わせるようにする事が大事なのである。


【プロデュースのポイント】
①記憶に残る幕の内弁当はない
②人の行く裏には華はなし
③止まってる時間に正確な時刻なし(←すみません、聞き落としたので自信ありません)
④時代はケーキのようなものだ!
⑤情報はたまるものだ
⑥人脈はドミノ倒しだ
⑦説得は納得だ
⑧根拠のない自信は幸せの最低条件
⑨遠回りこそ人生だ!
⑩呼吸するように生きろ!



①記憶に残る幕の内弁当はない
・幕の内弁当は主力商品がないから記憶に残らない。
 「あの○○がいい」と言ってもらえたのが勝ち。
(例)「さおだけ屋は何故つぶれないのか?」 という本が売れたのは、本のタイトルが「さおだけ屋が何故売れるのか知りたい」と思わせるからである。「さおだけ屋」が際立ってるのが良い。
つまり、歴史本より「マンガの歴史本」が売れる理由と同じである。

②人の行く裏には華はなし 
・みんなが行かない所に行く。みんんが行った所には何も残っていない。
(例)今IT社長が名を馳せているから「IT社長」になるのは駄目。今成功してる彼らは10年前、5年前からこの事業に徹してる。だからみんながやらない事を一歩先に行ってやる。

③止まってる時間に正確な時刻なし(←すみません、聞き落としたので自信ありません)
・時代を見ないで、自分のやりたい事をやっていると止まっている時計もいつかは時計が合う。
・HITやプロデュースが成功している背景には、軸足を動かさない強さがある。

④時代はケーキのようなものだ!  
・ケーキのベースは大体スポンジケーキ。そして時代の流れも同じように根底は変わっていない。上に載ってるものが変わってるだけで本質的には何も変わっていない。
・若者の気持ちがわからない時に「自分がその頃どう思っていたかを考えればよい。だから逆に経験してない未来の事はプロデュースしづらい。 

⑤情報はたまるものだ
・情報とは、自分の中に蓄積されたものを使うもの。
・自分の情報を使ってした判断は決して間違いじゃない。(自分が大衆の一人だから)
・情報はたまるもの。でも常にキャッチしていないと見過ごしてしまう。
・何を見て、何を感じてるかこそが情報→何に役立つか解らない
・情報も何となくたまっていくうちに、どこかが引き出せるか?

⑥人脈はドミノ倒しだ
・目的があっていやらしい利害関係がある。=本人の魅力にかかってる
・身近な人を倒せなければ大衆も倒せない。人脈を作る事が大切。
・用のない時に会う事が運命的リンクに繋がる。

⑦説得は納得だ
・自分だったらどうやったら納得するかを考える。
・(-)を(+)に出来るか、自分でシュミレーションをすると良い。

⑧根拠のない自信は幸せの最低条件
・この世には正解がない。だから自分でつくればいい。
・人混みの中に立っていたい、軸足になっていたい。と思う事が大事。

⑨遠回りこそ人生だ!
・無駄な事こそ大事!(人生最短距離=早死)
・自分がどれだけ楽しいか、HAPPYの作り方を考える。

⑩呼吸するように生きろ!
・意識して呼吸をすると苦しくなる。これと同じで人生も好きな事をしてればいい。
                                (川の流れのように…)

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

幸せとは…
そこにあるものを見つけること。考える事が幸せ。
「ないものねだり」はしてはいけない。(キリがないから)

最後に…
今日から「一行日記」をつけていただきたい。今日あった事インパクトが強かった事を書く。
一日を反芻(はんすう)する練習。
一生に一日しかない日。何もない日こそ一行書けるように何かしよう!


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
じゅぼんです。長々とまとまりのないレポートを読んでくださり有難うございます。
結構抜けている事が多くありますが、少しでもみなさんの何かの参考になればとここに記事を残してみました。結構面白くて考えさせられる内容でした。
本当は「質疑応答」ってあったのですが、今日は辞めますね。
そして次回更新します。ちょっとさすがに疲れてしまいました…。ではまた。
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by jyubon | 2005-10-20 09:40 | レポート

★講演★

2005年4月23日川田悦子さんの「薬害エイズ裁判と闘って」という講演を聞いてきました。自分が聞いた範囲+パンフを参考に内容を書きたいと思います。
長文になるのであしからず。また文章力がないので読みづらいですがお許しを!


<薬害エイズと闘って>    講演:川田悦子(前衆議院委員)

1976年 
 東京医科大学付属病院で次男:龍平くんが生後6ヶ月で「(先天的な)血友病」と診断される。

1983年
 荻窪病院へ小児科で「血友病」の治療に専念する為に転院する。医師より「血友病」の治療の為「血液製剤」を勧められる。その頃「血液製剤が危険だ」と騒がれ始めていたが、悦子さんは耳も傾けずに医師の「大丈夫」という言葉を信じて「血液製剤の治療」を龍平くんに始めていた。悦子さんの夫は悦子さんとは逆で「血液製剤が危険だ」と騒いでる話に耳を傾けていた。

1986年
 龍平くんHIV感染の告知受ける。しかしHIVの治療を求めるも、病院では一切フォローなし。医師に言い寄ると「うるさい」と冷たい対応をされてしまう。挙句の果てにHIV告知までは医師より「熱心なお母さん」と受け止められていた悦子さんも、告知後言い寄る事が増えると共に「ノイローゼ扱い」されていく。更に追い討ちをかけるようにHIV感染者で体調を崩す人が増加していく。

1987年
 「血友病の子どもを守る親の会」を結成。悦子さん事務局長になる。
 エイズ予防法反対運動を行う。

 神戸の女性にHIV感染者が出る。彼女はこの時点で意識不明にも関わらず売春まで疑われる。『世間がエイズに偏見を持つようになる』
 高知の女性(妊婦)もHIVに感染発覚。相手が「血友病患者」だった事から「血友病患者」を加害者としてマスコミが報道する。又、「HIV患者に人権はなくていい」という報道まであった。

 国は「HIV」を法定伝染病とし取り締まる動きを見せる。結果『エイズ予防法』と不条理な法律を制定する(’88) かなり後になって分かった事だが、厚生省が「血友病患者の会」の調査をして「裁判を起こしそうかどうか」のチェックをしていた事が明らかとなる。

1988年
 エイズ予防法反対運動を行うも途中くじけそうになる。自ら我が子のプライバシーを公表しているだけにしか思えず悩んでる矢先『エイズ予防法』が可決されてしまう。『エイズ予防法』はHIV感染者を取り締まれる、人権を無視した法律だ。

 悦子さんは同じ環境にいる3人のお母さん達と文部省にお願いに行ったり、「東京医科研感染免疫内科」にHIV専門の治療ができる場を求める。そして何とか認められる。自ら動き出した事によって『HIV治療』を始める事が出来た。

 再度転院する事になった小6の龍平くんに対し、悦子さんは「HIV(慢性感染症)である事」を告知す。しかし「発症したら僕自殺する」と言われてしまう。「そんな寂しい事言わないで…」としか悦子さんは言えなかった。その時悦子さんは龍平くんに「青春時代を味わって欲しい。そして一緒に生き抜いていこう」と決意する。又、自己管理をする為にも龍平くんに告知したとも言っている。

 龍平クン小6.インターフェロン治療を本人の意思により開始される。副作用には高熱(39~40℃)、体がだるい(全身倦怠感)、髪が抜ける等など。高熱の際、悪寒戦慄(発熱の為に震える事)もあり解熱鎮痛剤を併用して対応していた。この治療は自宅で点滴で行っていたが、押入れを改造して他人が来ても治療している事が分からないようにしていた。この治療を20歳まで続けていた。ちなみに今では当たり前に知られている事だが、このインターフェロン治療はC型肝炎患者に効果があると後に判明する。

 龍平くんは中学生の時「どうせ長く生きられないなら、何してもいいじゃないか」等と言い荒れていた。しかしその反面、悦子さんの頭痛が悪化し「お母さん自己管理が大切だよ」と優しい言葉掛けもあったのだが、内心では「母が頭痛で死んでしまって自分一人残されてしまうのではないか?」という気持ちもあった。

 そんな頃、夫と悦子さんの間で「薬害エイズ裁判」の事で口論が耐えなかった。
「勝てない裁判ならするな!やるだけ無駄だ。今は残された時間を充実に費やすべきだ」と夫。しかし「やってみなきゃわからないじゃない」と悦子さん。よって2人は離婚をする事となる。経済的不安を抱えながらら仲間と裁判で闘える喜びがあった。今まで「東京HIV訴訟原告団」に参加していただけだったが、原告団に入り副代表になる。だがこの時点で原告団と弁護団の間に溝が出来ていた為、弁護団寄りの意見を言っていた悦子さんは辞退を求められ副代表を降りる事となる。「被害者が訴えなければ裁判に勝てない。事実を訴えるのが大切」しかしこの意見は原告団には受け入れてもらえなかった。

 龍平くん高校生。HIVを自分自身の問題として受け止めるようになる。これを機に彼女にHIVを告白。「だからと言って(龍平くんを)好きな気持ちは変わらない」と言われる。しかし心に負担をかけた気がする。同時期に親友にも告白する。「今日のお前も明日のお前も変わらない。同情はしないぜ」と言われ、両者に受け入れられた。

 「薬害エイズ裁判」の傍聴に足を運ぶようになる龍平くん。ショックを受ける。「関わりの無い人が裁判を支援している。嬉しかった」と。原告になっていく彼の成長していく姿を悦子さんは見ていた。

1994年
 原告団の前で「名前や顔を出して生きていきたい」と龍平くんは断言する。自らの生き方を選択した時だ。しかし周囲の反応はゼロだった。

1995年
 龍平クンの実名公表。悦子さん「薬害エイズ運動」の先頭に立って「人間のくさり」「厚生省前座り込み」など裁判を問う。「薬害エイズ」和解後、「薬害エイズ」の枠を越えて、「人権アクティビストの会」を結成、副代表を経て現顧問。

 「厚生省前座り込み」ではリレートークに参加した龍平くん。
『公務員のみなさん。みなさんは何の為に働いているのですか?上司の為や金の為ですか?何の為に生きているのですか?この国が人権や人の命を大切にしてくれるならそれでいい』と訴え、人前で泣かない彼が泣いた。

 現在龍平くんは松本大学の講師をしながら全国を飛び回って講演しているらしい。

 「薬害エイズ裁判」は和解した。条件をつけて和解した。
(条件1)HIV患者の治療費を無料にする。どんな経緯でHIVになった人でもOK
(条件2)HIV専門の治療する場所を設けること。

 現在、国立国際治療センターでHIV専門の治療が受けられる。その一方で不名誉な事に先進国で唯一日本だけHIV感染者が増え続けているのが現状だ。それは何故か?「きちんとした教育・報道が成されてないからだ」と悦子さんは訴える。

 『命を守る、守り抜く事は、大人が本気になって取り組まなければならない』

 最後に悦子さんは、裁判を通して「良い出会いもあり、様々な事を経験させてもらい、人間が成長していく過程を見ることが出来た」という言葉で締めくくった。

【私の感想】
裁判はさておき、龍平くんが頑張って生きている事に感動した。嬉しかった。しかしここまで至るのに悦子さんは「離婚」しなければならなかったのは残念だった。でも彼女は全くそんな事より目の前に事に向かって進んでいた。私はまだ子どもがいないので泣く事は出来なかったが、今日この話を聞けてラッキーだったと思う。いつか子どもが出来たら違った捉え方ができるかもしれない。今は正しい知識の普及を自分が出来る範囲で出来れば良いと思った。
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by jyubon | 2005-04-24 02:11 | レポート