カテゴリ:東日本大震災( 34 )

あれから、もう1年。

みなさん、こんにちは。今日は夜勤のじゅぼんです。

東日本大震災から今日で1年。
あっと言う間でした。

昨日、久々に会った友達は当時妊婦でした。
お腹が張って、産婦人科に運ばれたのは夜でした。
彼女の一番上の子供は、彼女の母とガレキの中で一夜を過ごしました。

今年5歳になった彼女の娘さんが当時の事を話してくれました。
「ばあばといたの。ひいじいちゃんは流されたの。朝になって自衛隊さんに助けてもらったの。」
あの匂い、あの寒さ。彼女が経験した「3.11」、私には計り知れません。
私が両親を探していた頃、彼女たちはあのガレキの中にいたのです。
様々なドラマがありすぎて、もう1年経ってしまっただなんて信じられません。

私は命もあり、家もあり、職もあるので、被災者とは言えません。
舅と姑は職を失いました。でも姑は再就職して働いております。
そう考えると、我が家は復興している方なのかもしれません。

ただ、福島県は宮城県・岩手県と全く違うように思います。
原発のせいです。

地震・津波・原発・風評被害。県民が県産のモノを消費しないと、いけない現実。
避難した人間が、福島県を批判する者もいます。

誰が正しくて誰が間違ってるとか言えません。
ただ、そんな中でも生活をし続けている人間を批判する資格は誰にもないと思います。

はっきり言って、本音を言ってしまえば、色々疲れてしまいました。
仕事は特に。復興なんて綺麗事で済まされない現状。
常に医療裁判を恐れて、保身にばかり目を光らせてる経営者。

震災から1年。今のまま頑張り続けられるか、いささか断言はできません。
でも1年やってこれたのだから…と言う想いもあります。

1年前の今日は停電で、真っ暗な中夜勤をしてくれた4人のメンバー。
本当に感謝です。1年後のその日に夜勤の私。
改めて、色々考えながら仕事をしてこようと思います。

1年前の今日、失った多くの命に改めてご冥福をお祈り申し上げます。
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by jyubon | 2012-03-11 13:23 | 東日本大震災

みなさん、こんばんは。今日は夜勤明けのじゅぼんです。
久々に本を読み終えたので、ご紹介します♫

南相馬10日間の救命医療―津波・原発災害と闘った医師の記録

太田 圭祐 / 時事通信出版局



この本は、2011年12月に発売されております。
先日、職場のナースのパートさんから「良かったら読まれます?」と貸してもらった本です。

昨日(今朝)夜勤中に読みました。
活字も大きめですし、何せ「3.11」から10日間の事が明確に記されているので、
読むスピードも早かったです。

どんどん胸が痛くなったり、私は職場でいっぱいいっぱいになってたけど、
病院は本当に戦場だったんだと、職場から30分足らずの場所にある舞台になってる病院を
今更ながらに、ただただ頭が下がる思いで読みました。

津波被害に遭った施設で働いてた職員も、今うちの職場で働いていたりします。
本当に1年は早かった。

この本は、決して忘れていけない記憶として、保存版で購入しようと読み終えて思いました。

私より若いであろう太田医師の手記に、色々思いつまされるものもあり、
南相馬総合病院のような対応が、自分自身で出来ていれば、職場でもう少し利用者に対して
優しく接することができたのではないのか?など、反省ばかりしてしまうが、
あれから1年、本当ここまで平穏にやってこれたことに感謝しつつ、
無事「3.11」を迎えたいと思った。

不条理な職場環境下であるのは、以前変わらないが、少しでも前に向けるように、
少しずつ、自分自身大人になれたらなと思う。ではまた。
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by jyubon | 2012-02-24 22:32 | 東日本大震災

格差社会

みなさん、こんにちは。今日は休みのじゅぼんです。
昨日は夜勤明けで、隣の市まで買い物に出かけ、昼には委員会に参加。
そして同じ役職の子としばらく話し込んで帰宅しました。

隣の市。南相馬市。
買い物に出かけるにも、震災前に比べてぐんと減りました。
色々店が密集していても、開店してない店が多いからです。

住人も減れば、開店する店も減る。
全国チェーン店は本当にその傾向が顕著であります。

原発避難区域30km圏内は、計画準備区域解除になりました。
9/30のことです。
1ヶ月近く経過している今でも、全国チェーン店は再開しません。

マクドナルド、ユニクロ、ヤマダデンキ(←ここは撤退したとか)
ココスにしても営業時間時間制限。
ダイソーだって、10:00~17:00

この営業時間制限だって、相馬市も震災後はありましたが、
気づいたら平常通り営業しております。
24時間コンビニだって開いております。

でも南相馬市はコンビニですら24時間営業している店が数店舗。
挙句の果てに、閉店しているコンビニが点在。
相馬~南相馬間の国道沿いのコンビニだけでも2店舗が営業すらしておりません。
しかも片方の店舗は私がよく使っていたコンビニだったので、ガッカリが大きい。

昨日、子供服を買いに南相馬市に出かけました。
しまむら系列の「バースディ」と言うお店です。しまむらに隣接しております。
ただ、しまむらの駐車場には車がいっぱいなのに、バースディの駐車場には2台。
広告の品も、本来であれば売り切れているはずなのに、沢山ある始末。

「放射能が生んだ格差社会」

本当に、南相馬市に住んでいる人は、未だに生活を営む上で、苦労を強いられていると
昨日の状態を見て痛感しました。

先日、夜中に飲み会終わりの旦那さんを南相馬市に迎えに行った時も思いました。
真っ暗な国道。閑散としている町並み。
震災前は相馬の方が劣っていたのに、今では真逆。
早く少しでも早く、南相馬市の方々が生活を送りやすい環境を整えて欲しいものです。

ではまた。
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by jyubon | 2011-10-28 13:07 | 東日本大震災

震災から半年が過ぎて

みなさん、こんにちは。今日は夜勤のじゅぼんです。
先週から全く更新が出来ずにすみません。ネタ不足もありますが、色々バタバタしてました。

9/11 東日本大震災から半年が経過しました。
各局特番がやっておりました。ブルーレイのHDDに録画したものの、まだ見れておりません。
あっという間の半年で、「あの頃は…」と色々考えさせられる日でもありました。

9/12 東日本大震災で津波の被害にあった子の葬儀に参列してきました。
既に3/29に火葬は済んでおり、葬儀と納骨だけでした。

頭では理解しているのですが、焼香をすると、泣けて泣けて…。
心で理解していないと、理解したくないと痛感させられました。

その子は、今の職場で開設当初から数年、一緒に働いてた子でした。
出会った時は、20代前半だった彼女も、今月で30歳の誕生日を迎えるはずでした。
彼女のお父さんは「悔しい思いだけです」と述べておられました。

ただ彼女のお別れ会と言う場ではありましたが、元同僚達と久々に再会できたのは、
彼女のおかげ以外何者でもありませんでした。
そしてあれだけの面子が偶然にも休みや夜勤明け等で、参列出来たのも、
彼女の人徳だったと思います。

9/13 前日の葬儀を経て、前向きに頑張ろうと思っていたのですが、
あまりの忙しさに、両手を挙げて「降参!」と言いたい状況でした。

でも肩書きもついてしまいましたし、自分が諦めないで働かなければいけません。
8時過ぎに出勤して20時近くまで約半日働いて、クタクタでしたが、
私以上に旦那さんが片道3時間の道のりの場所から帰宅している最中と知り、
ムチを打って、夕飯の準備に取り掛かりました。

そんな時に、知らない番号から電話が…。そしたら主任でした(笑)

男衆5人で飲み会をしていたようで、酔っ払いの5人と電話で会話しながら、
夕飯の支度や台所の片づけをして、気分良く飲んでいる奴らを、
現実の谷底に突き落としておきました(笑)
ただ、人を介してではありますが、色々肩書きがついている者同士で語れたので
良かったように思います。

9/14 珍しく日勤2日連続。
職員だけでなく、利用者にも「泊まりでないの?」と言われる始末(笑)
仕事は無事にほぼ定時に終われて、旦那さんも同じくらいに帰宅しました。

そして10/14~10/17まで岐阜に帰省する事を決めました。


震災から半年。
福島県内では「風とロック」と言う音楽フェスが昨日から始まりました。
相馬には18日。でも私達夫婦は17日の郡山に参戦してきます。
楽しんで、泣いて、笑って来ようと思います。ではまた。
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by jyubon | 2011-09-15 13:10 | 東日本大震災

震災から3ヶ月

もう3ヶ月も経つのか…。

あの震災から早3ヶ月。
それを機に、特別番組もやっていた。
市内の小学校の話は録画して見たら、オープニングの映像で舅の船が写ってた。
もれなく流された船。そして私の住んでるアパートも写ってた。棚からぼた餅だ。


この3ヶ月が経って、見えていなかったものが見えてくる時期に、
一番聴きたくない話を聞いてしまった。
経営者が、本当に心無い人だったと言う話。

医者として、診療も行っている人間が、
震災の3月の、あの地獄のような、戦場だった日々を過ごしている中、
「私、○○○がもうやってたから、行って来たの」と丁寧に写メまで撮って、
それを見せながら、自分が居酒屋で飲み食いしてきた話を、
主任会議の場でしていたそうだ。

ありえない。

そして納得がいった。

そんな人だから、一度も利用者の顔も、職員の顔を見に、
利用者が生活する場に足を運ばなかった。
足を運ぶ訳がなかった。期待した私達がバカだった。

そんな人だから、震災の中、通常業務に戻せない状況で、
ありえない人事異動をしまくり、現場を更に窮地に追い込んでいく訳なんだと、
本当に納得がいった。

そんな人に立ち向かう気が起こらない。
だけど利用者には関係ない。

最近思うことがある。
利用者も職員も、心理カウンセラーのような方々に、
話を聞いてもらう時期にさしかかってると私個人は思う。

心の中を、思いの丈を、十二分に吐ききる場所が必要なのだと。
そして「Re:STRAT」すれば良いのではないかと、思う。

それが出来るのが、生かされた私達だからこそだし、それをせねばいけないと思う。
何かを始めるにも、辞めるにも、心を整理しないと進めない。
復興ばかり目が行きがちだが、足元を見つめ直す時間も必要だと思う。

人間、器用な人でも、案外不器用で、同時に何もかもこなせない。
ましてや未体験ゾーンに踏み入ってると、尚のこと。

私は、家族や友達に話せている分、楽だけど、そうでない人は酷いと思う。

何か良い方法はないものか…。



震災から3ヶ月。
平凡だけど、平和な毎日が暮らせていることに感謝。
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by jyubon | 2011-06-11 03:34 | 東日本大震災

震災から2ヶ月

みなさん、こんばんは。今日は休みでした、じゅぼんです。
久々に旦那さんと宮城県に二人で出掛けました。

イオンモール名取エアリに行ってきたのですが、
そこまでの道中、被害を目の当たりにします。

瓦礫の山。よくぞ、ここまで積み上げなさった、自衛隊さん。
そしてそれらを片付けていく。

海があんなに近かったのかと思い知らされる。
国道から海があんなに近く見える。

震災から、もうすぐ2ヶ月。

生活もほぼ今まで通り。
我が家に関しては、旦那さんが週3日しか仕事に行けません。
収入も約半減。私は変わらないのですが、旦那さんが原発の影響を食らっています。

お店もどんどん通常営業。
近所のマクドナルドも今日から8時~21時までの営業時間に延びました。

ただ外食をしなくなり、外出もしなくなり、
家で済ませられることは家で済ませるようになりました。

被災者であり消費者でなければいけないのは十分承知しております。
ただ全く消費していない訳ではなくて、やたら買わなくなりました。

その反動でしょうか、今日久々の買い物で、色々買いました。
主に旦那さんが良い買い物をなさっておりましたが…。
そして震災後、色々送ってくれた人達にお礼の品々を買い、帰宅後宅急便にGO!

あれだけニュースの1番は原発だった先月に比べ、最近は別のニュースが1番に。
少しずつ世の中も復興しているように感じます。

避難所生活等、非難している人達からしたら「何が復興だ!」と言われて当然なのですが、
毎日の生活の少しの変化が嬉しくて、前に向こうと思えるのです。

そんな時、猪苗代湖ズの曲は胸に沁みます。と言うか、泣けます。
涙ナシで聞けた試しがありません(涙)
今度仙台駅の方まで車で出掛けて、仙台パルコに行って、タワーレコードに行って、
猪苗代湖ズのCDを、福島のため、みんなのため、そして自分のために買おうと思います。

車ですれ違う自衛隊の方々。今日は名古屋市守山、春日井市の車を見ました。
「おぉ」と元愛知県民の私は喜んでしまいました。
復興支援の方だと思いますが、岐阜ナンバーや名古屋ナンバーの車も見ます。
それだけでも嬉しいです。

被災者だけど、被災者ぶってはいけない気がする毎日。
避難していないけど、被災者な気がするのですが、被災者ではないのでしょうか。
毎日、そんな心の葛藤があります。

仕事をしていても、怒涛の3月・4月を乗り越えたのに、虚無感しか残らない。
達成感はほぼゼロ。無気力にさえなります。あれは夢だったのか…。

当たり前のように毎日が過ぎ、当たり前のように毎日が来る。
報われない。報われるために仕事をする訳ではない。
でも、人員があれだけいない中で、あれだけの仕事をこなした私達は何だったのか。

色々思ってしまうけど、最終的には「だったら自衛隊の人たちはどうなの?」
と言う結論に至り、「自分は全然報われている」と思いとどまる。
でもこの思考回路の繰り返し。心の整理は中々つきそうにない。

明日は来る。明日の仕事の事を考えよう。ではまた。
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by jyubon | 2011-05-09 22:37 | 東日本大震災

よく頑張ったで賞

今日は夜勤明け。

いつも行くジャスコで、先日お邪魔した南相馬の友人と待ち合わせ。
そして我が家へ。
彼女は「ふぐこ」との再会に感動していた。
まるで子供をあやすかのように、見る度に声をかけていた。
私より愛情を注いでいたのではないか?偉いなぁ。

そんな彼女との会話の際に、思い出したことがあった。
4/8付けで「賞与」が入っていたことだ。
約7万円。

しかし何も聞かされておらず、自分だけに入っていても嫌なので、
誰にも口外せずに、給与計算の担当者に聞こうと思っていても、
そんな時に中々いない。

そしたら夜勤の時に、その話題になって、初めて自分以外ももらっていたと判明。
ただし額は個人差があると。
だが、誰もその明細ももらっていないし、理由も知らない。
ただ賞与が通帳に入っていたことだけが事実として、みんなが分かっていた。

そして先月分の給料明細ももらえていない私は、一緒に賞与の明細ももらった。
経営者から、震災後の頑張りを形として出したと言う話だった。
ただ額は、その人によって違うと。

この件に関して、旦那さんから「時間外の分は給与だから、ちゃんと聞いてらっしゃい」と
釘を刺されていたので、耳の穴をかっぽじって聞いていた。
今度の給料では、震災後のハードワークの分を出せるだけは出すが、
出せない分は、この賞与で勘弁して欲しい…と言う内容だった。

私自身、24時間勤務を2回やっていて、夜勤も多くこなしていて、休日も返上していて、
どう計算していいものか、よく分からなかった。
しかし大体は計算してみようと思っていた所の話だったので、
「出せるところまでは」の最大限度を知る良い機会だと思って、前向きに捉えようと思った。

ただ本当に、本当に「よく頑張ってくれました」と言う気持ちが経営者の中にあるのなら、
震災後から一度も利用者が生活する場に足を運ばないと言う態度を貫いてはいけないと
つくづく思う。

総理大臣が被災地に足を運ばないのと同じ。
天皇陛下が被災地へ早く足を運びたいと願っている中、
利用者が生活している場所へ足を運んで「大丈夫でしたか?」と上っ面の言葉でも
かけてもらえるか、そうでないかだけで、全く違う。そして職員の気持ちも変わる。

いただいたお金は有難く頂戴しますが、経営者が事務所にまで来て
私達に顔を出さずに帰るスタイルを貫く限り、私達が心底感謝出来ない事は否めない。

みんなにもらえた賞与は、ひとまず経営者からの「よく頑張ったで賞」であること。
それは有難く想い、有難く頂戴して、復興に向けて前に進もうと思う。
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by jyubon | 2011-04-13 23:50 | 東日本大震災

雑誌でお腹がいっぱい。

みなさん、こんにちは。今日は夜勤のじゅぼんです。

昨日の夕方の余震から、何度も揺れて、今日も揺れて。
最近は地鳴りがなく、突然「ドン」と音が鳴って揺れるパターンの地震が多く、
「来るな」と言う心の準備が出来ない状態で(地震が)来るので嫌です。

そんな中、高校の同級生から宅急便が届きました。
義理の弟クンに生まれた甥っ子のためのお下がりのお洋服と、
私への雑誌の差し入れでした。

この震災のため、自粛ムードが世の中に漂っている中、
過度な自粛が経済には逆効果だと、専門家達が嘆いておられます。
最終的には、私達被災者のためにならないと。

過度な消費もいけませんが、今まで通りの日常を過ごすことが
一番大切で必要なことなんだと、あやゆるメディアで言われております。

私もコンビニに出向いては、コンビニの営業状況を調べるついでに、
欲しいものがあったら買うようにしております。

ただいつも雑誌をコンビニで買っていた私ですが、雑誌がないのが現状。
せめて「日経エンタテイメント」だけでも欲しい!と友人に懇願。
そしたらそれ以外にも計3冊も送ってくれました。

以前なら自分で買って読み漁っていた雑誌。
同じ額の雑誌でも重みと価値がぜんぜん違います。
自分の中で被災後、飢えていた分野だったと、改めて気づかされました。

旦那さん的には「雑誌なんか買わなくたって」と言う人なので、
私のこの飢えにはスル~されていたのですが、妻には一大事なのです。

エンタメ情報。しかも新ドラマが始まり、公開される映画も目白押し。
でもいつも行ってた映画館の再開の目途は一切立たず…。でも映画情報は知りたい!!!

様々な情報が目から習得できた喜びには変えられません。
本当に感謝です。

今までと同じ生活を送り始めている私達ですが、
同じ職場でも家がない職員が数名おり、更に放射能の兼ね合いで、出勤できている職員も
いつ出勤できなくなるか分からない状況ではありますが、
大震災から1ヶ月経過して、今日から職場も完全平常運転になりました。

そんな日に届けられた品々。
そして気合を注入して、被災を言い訳にしないように、
前に少しずつ歩めていければと思います。

冬に豪語していたダイエットも挫折。体重は増加もせず減少もせず、維持。
でも利用者に「太ったな」と笑顔で指摘され、ダイエットを再始動する決意が固まりました。
肌の露出が増える前までに、少しは元の体重に戻れるように、コツコツ努力しなければ。
今日の夜勤、気合を入れて頑張ります!
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by jyubon | 2011-04-12 13:07 | 東日本大震災

今日は休みでした。体が元気な感じだったので、友達に連絡をして、会いに行きました。

その前に、TSUTAYAに行ったのですが、そこでも余震。
無駄な抵抗だとは思っても、棚を押さえておりました。
他のお客さんは、あまり焦った感じがなく、逆にビックリしました。

そして南相馬市へ。
震災後初めて私は行ったので、衝撃がありました。
国道まで船が来ていて、国道も場所によっては地盤沈下で片側通行。
そして人が歩いていない。店も開いていない。過疎地域だと感じました。

友達の家で、色々お話している最中に、M7.1の余震にあいました。
震度4にしては揺れた気がしましたが、もう怖いですよね。

そんな中、安藤優子キャスターが相馬に来ているらしいと
旦那さんからメールをもらったり、「無事だよ」メールの後の情報としては
「さすがだな」と思ってみたり。

強い余震から1時間以上経過して、余震が弱くなってきてから帰宅しました。
帰宅中に強い揺れは全く感じずに、無事に帰宅。
家に帰ると、案の定水槽から洪水したのでしょう、旦那さんが処理した後がありました。

震災から1ヶ月。そんな中の余震。これで最後にして欲しい。
誰もが強く感じることです。
強い揺れも、津波も、もう本当に嫌気が差します。

時が経てば経つほど、恐怖感が増大してくる。この感覚は拭えない。
お願いだ、もう少しだけでもいいから、平和な時間をくれないか。

余震の度に弱まる心。もう少しだけでいいから、強い心が欲しい。
休みの度に弱っていく精神力。今が踏ん張り時。気合を入れなおさなければ。
今夜もよく眠ろう。
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by jyubon | 2011-04-11 19:50 | 東日本大震災

支援物資<オムツ編>

明日で、あの震災から早1ヶ月。あっという間だった。
激動の1ヶ月だった。

でも様々な些細な出来事に対して喜びや幸せや感謝を感じる事が出来る
貴重な体験も現在進行形でしていることも確かだ。

そんな中、被災者の私達と切っても切れないものが「支援物資」だ。
この存在の有難さ。そして沢山の想いの詰まった物資の数々。
みなさんの熱い想いが届いています。

ただ平等に届けられていないことも事実。
更にそんな中、「オムツ類」に関して、感じたことが多々あったので、
忘れないように以下に述べようと思う。

①「大人用オムツM」とあっても、中身は「紙オムツ」と「紙パンツ」が混合している
②「オムツ」の中に「尿取りパット」が混合している
③「尿取りパット」も小さいタイプが非常に多く、吸収量が多いタイプがかなり少ない
  実際、人手がない時に必要なパットは、「大きい吸収量の多いパット」の需要が大。
④「大人用オムツ」の中に「赤ちゃん用のお尻拭き」が多々入っている。
⑤「大人用オムツM○枚」と枚数が記されているが、
  バラなのか、そうでないのか表記して欲しい。
⑥開封後か未開封かの表記もあるのとないのとでは、使い勝手も違うように思う。
⑦「尿取りパット」は吸収量別で箱詰めしてあると、非常に使いやすいと思う。
⑧支援物資が半強制的に公民館へ取りに行く形で、必要なものだけをいただきに上がる形は
 ほぼ無理な状況。
⑨⑧に伴い、過剰に支援物資を配給されているので、逆に申し訳ない。
⑩支援物資(特にオムツ類)の仕分けは、どのようにされているのか知りたい。

今、思い浮かぶだけで↑の10項目あります。
バラでナイロン袋に入っている品も多くあり、サンプル品など、個数別で目立つ。
せっかく使うなら、バラから使いたいのが本音。

今度、もし「支援物資」のオムツ類の仕分け業務に携われることが出来るのなら、
徹底的に仕分けに徹したいと思った。
使う人の事を考えた上での仕分け。これが本当に必要で人件費の削減に繋がると思う。

今日、夜勤明けで5時間近くかかって、支援物資(オムツ類)の仕分けをした。
本当に気が遠くなる作業だったけど、達成感も非常にあった。
支援物資から使い切るにも、どれだけの期間がかかるか分かりませんが、
毎回出勤ごとに確認して、仕分けして、みんなが使いやすいようにして行こうと思う。

「事業仕分け」ならぬ「オムツ仕分け」。
実際戦場のように混乱を招いている現場なのかもしれないけれど、
私は一度、その現場に立ち会って、体験したいと強く強く、今日感じた。

でも本音を言えば、しばらくオムツ類の支援、本当はいらないんですよ。
だけど、取引先がいつ再開するか不明な間、いただき続けるのでしょうね。
なんだかなぁ。ではまた。
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by jyubon | 2011-04-10 19:05 | 東日本大震災