被災して初めての朝。

両親の無事がわからないまま、朝を迎えた。
お母ちゃんは無事らしいとわかった。お父ちゃんと一緒にいるかどうかも不明。
そんな状態で、日勤だったが、停電してる職場に明かりをと思い、
我が家は電気は通っていたので、携帯の充電を満タンにして、朝5時に職場に向かった。

オムツ交換をするにも、鈍い明かりでやらないといけなく、
明かりもない一晩は相当怖く、辛く、堪えたと思う。
携帯のライトが明るく、少しは役立つと思い、照らしているだけだが、
早く出勤した。

今思うと、夜勤者のうち2人家が流されていることを知らずに夜勤に来ていた。
1人は家はあるけど、住めるかわからない。もう1人は完全に全てを失った。
そんな状況下で働かせてしまっていた。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
彼らも被災者なのに、彼らだって被災者なのに、人の命を救っている場合じゃないのに、
人の命を救ってくれていた。守ってくれていた。
感謝してもしきれない。申し訳ない気持ちが、未だに心にこびりついている。

この日、相棒になりつつあるナースマンが色々指揮を取ってくれて、
非常事態のベースを作ってくれた。今もなお継続しているタイムスケジュールだ。

この日の夜、電気が通って、TVも見れるようになって、精神的に楽になった。
ただ、水道はまだまだ断水。下水も勿論ダメ。

まだ人材は沢山いた。沢山いた。
そして前日残っていた仕事を太陽の光があるうちに済ませた。
日誌どころじゃないけど、日誌も残さないと、後々響くと思って書いた。

雑魚寝の夜2日目。
利用者も私達も被災者だけど、利用者はまだ状況を飲み込めていない状態だった。

19:30頃帰宅途中、やっと携帯の電波を受信して、旦那さんからの朝のメールを見る。
「お父ちゃんが無事だ」と。

職員1人を乗せていたので、彼女を家の近くでおろして、一人になった瞬間、号泣した。
ボロボロ泣きながら帰った。そしたら我が家に両親がいた。
二人の顔を見てまた泣いた。お父ちゃんは笑ってた。

お母ちゃんは「お世話になりますぅ~」と申し訳なさそうだった。
お父ちゃんは「津波に流さっちゃ~」と笑ってた。
笑って話せているのが奇跡だった。
今思うと、第一波の津波にのまれたから助かった。
第二波だったら、15mの津波だったので、命はなかった。運としか言いようがない。

我が家も両親も両家の家も無事だとわかって、夜は熟睡した。
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by jyubon | 2011-03-12 22:59 | 東日本大震災